2020-11-19 第203回国会 参議院 外交防衛委員会 第2号
岸信介先生が、総理が見事に成し遂げた日米協力の大きな安保条約の改定でありましたから、自信を持って防衛大臣の職を全うしていただきたいなと、こう思っています。 最後に、茂木大臣、せっかくの機会ですから、アゼルバイジャンとアルメニアの停戦合意がなされました。私は、この背景には、茂木大臣が十月十六日、電話したことも大きな支えになっていると、こう思っているんですね。
岸信介先生が、総理が見事に成し遂げた日米協力の大きな安保条約の改定でありましたから、自信を持って防衛大臣の職を全うしていただきたいなと、こう思っています。 最後に、茂木大臣、せっかくの機会ですから、アゼルバイジャンとアルメニアの停戦合意がなされました。私は、この背景には、茂木大臣が十月十六日、電話したことも大きな支えになっていると、こう思っているんですね。
○河村(建)委員 安倍総理、すばらしい家庭教育をお受けになったと私も拝察いたしますし、昔から子供は親の背中を見て育つといいますから、私も同じ選挙区でもございましたから安倍晋太郎先生もよく存じておりますし、また、おじいさんの岸信介先生もよく存じております。そうした中で今日の総理があるんだということを、私も思いをいたすわけでございます。
まず冒頭に、さっきも若干質問が触れておられましたが、私、実は先週の三月の十四日に日韓協力委員会というのを、いわゆる第四十三回目に当たりますが、四十三年前に岸信介先生、そしてその後は福田赳夫先生、そして今は中曽根康弘先生が会長を務められて、日本と韓国とのこの一衣帯水の新しい、言うなら戦後の体制のあの難しい時期に岸さんが、岸総理がスタートをせられて、そして今日的日韓の協力信頼関係のスタートを切られたこの
そのときの、それを結ばれた総理は岸先生のおじいさんであります岸信介先生であります。それで、そのときまでは鉄鉱石が入ってこなかったんですよ。鉄鉱石が入ってこなかった。だから、日本の鉄鉱石関係の人というのはもう何十回もオーストラリアに行って、何とかそれが実現できないかと。この日豪通商協定によって初めてそれが実現して、日本の鉄鋼産業というものが大きく発展をすることができた。
そうした中では、総理大臣になられた方、あるいは法務大臣になられた方、例えば岸信介先生、あるいは賀屋興宣先生は法務大臣になられた、こういうことであるわけでございます。 また、いわゆる戦犯として処刑及び獄死された十四名の、靖国神社では祭神と言っておりますけれども、祭神名票が当時の引揚援護局、現在の厚生労働省になるのかと思いますけれども、から靖国神社に送付されたのが昭和四十一年でございます。
それで、その会合を持ちますのでということでしたが、今鮮明に覚えておりますのは、岸信介先生が逝去された日でございました。
したがいまして、あくまでも私の立場は、アメリカは強いよ、しかしながら、御承知のように日米間はイコールパートナーという言葉を使い始めたのは、アイゼンハワーと岸信介先生の時代にゴルフをともどもしながらイコールパートナーという言葉を使ったのでありますが、それ以来もう二十年以上にわたってイコールパートナーであることは事実たけれども、譲るべきものは譲る、しかし譲るべきでないものは断固として守っていくという基本方針
○弥富事務総長 まず最初に、議長から、岸信介先生逝去につき弔詞贈呈の件についてお諮りをいたします。 次に、日程第一及び第二につきまして、堀内社会労働委員長の報告があり、次いで日程第二に対しまして、討論が行われます。両案を一括採決いたしまして、いずれも修正であり、社会党、公明党、民社党、共産党が反対でございます。
したがって、例えば岸信介先生とか椎名悦三郎先生とかそういう人は大体四十歳と四十一歳で事務次官になっていらっしゃる。あのころから見るいわば平均寿命ですか、そういうものの伸び方からいたしますと、やはり徐々にそういう方向に来ておるということにはなるではないかというふうに考えております。
たとえば、人の名前を出しますと、岸信介先生が商工次官になられたときは、たしか三十九歳か三十八歳であったそうでございます。そのころから見ますと、大体ここのところ四十年間で約十五、六歳、役所の総合的な年齢が上がっております。
どうも捜査当局には力の限度がある、もはやロッキードの段階から岸信介先生のその汚職のにおいはもうわかった、航空機輸入に関するにおいがしたんだ。けれども元総理大臣二人、一方に田中角榮、一方に岸信介、両者を同時に捜査をするなどという能力はこれはない。そうして、検察当局というものはやはり政治的判断の非常に強いお役所でございまして——公正、不公平を言うんじゃございませんよ。
私の仲人は岸信介先生じゃないんです。私の仲人は日本冷蔵の、いま亡くなりましたけれども、副社長の中谷由路という人なんです。だから、一つ一つ、私は何ということをみんなが言うんだろうというふうに思っておりますけど。 それから、選挙のことで岸さんから選挙資金をもらったんじゃないかと。私は正直に申して、莫大な金はもらっておりませんけど、岸さんから、二回目のときでしょう、五十万もらいました。
なお、この共同開発、この構想について、日韓協力委員会、まあ岸信介先生が関係しておる、それが策動したんではないかという話でございますが、まあ日韓協力委員会でありまするから、日韓間に起こるいろんな問題につきまして発言し、あるいはこれを推進するということは、私は当然考えられると思うんです。しかし、いいことは幾ら推進してもいいじゃありませんか。悪いことじゃないんです、これは。
岸信介先生等も名が挙がっておるそうです。本人は知らないと言っておるそうですが、そう書いてあります。一応顧問には皆なっておるそうですね。そういう協会が実際には月何トンという金の売買を行っているということが記事になって出ている。これは社会一般に流布されておることなんです。私が直に記者に電話をかけて聞いてみた限りでは、あっちに飛びこっちに飛びして取材した方の実際の言葉としてぼくも聞いているわけだよ。
そこで私は、その当時外務委員会で非常に問題になっておりました、韓国の方がどうしても日本に対して日韓会談を順調に進めることのできない障害になっておりました二つの点を、当時の内閣総理大臣兼外務大臣岸信介先生に質問をいたしました。それは、二つの点と申しますのは、一つは例の久保田発言でございます。